| 〜OB紹介〜
 
 ■ 村上 篤平
 青桐クラブ創設者であり、元国際審判の経歴をもつ。昭和39年4月より川口工業高校バスケットボール部の顧問となる。
 以来幾度となくチームをインターハイへ導いてきた。川口工業高校が持つ、埼玉県のインターハイ最多出場記録は未だ
 に破られていない。他にも武勇伝は数多くあるが、最たるものを挙げるとすればマレーシアで行われた国際試合の一件。
 試合は大乱闘になり、審判を務めていた同氏が地元マレーシアの選手を3名退場処分にした。このことは翌日のスポー
 ツ新聞のトップニュースとして報じられ、同氏は100人近い警察官に護られ出国をすることとなった。
 
 ■ 川島 克夫
 埼玉県でバスケットボールの指導者を志すものであれば、同氏のお世話になっているものが多いのではないだろうか。
 埼玉県バスケットボール協会指導者協議会の会長であり、昨年文部科学省大臣賞を受賞した輝かしい経歴をもつ。
 現在はさいたま市駒場場体育館で館長を勤めている。
 
 ■ 花里 武史
 青桐クラブ創設時のメンバー。181cmの高身長であるにも関わらず、「走るセンター」として活躍した。0度のジャンプ
 シュートなど、チームで最もクレバーな選手であった。現在埼玉県バスケットボール連盟に登録している「NOAH」の
 代表を務める花里祐太は同氏の息子にあたる。
 
 ■ 島田 秀明
 青桐クラブ創設時のメンバー。178cmのサイズでありながら、驚異的な跳躍力でリバウンドを量産していた。あれから
 40年の月日が流れ、今では階段の上り下りで息切れがする。
 
 ■ 高柴 良行
 青桐クラブ創設時のメンバー。フォワードとして常に真面目で一生懸命なプレーは、ギャラリーの好感を得ていた。あれ
 から40年の月日が流れ、今では年だから酒は控えるように、と言われている。
 
 ■ 加藤 義郎
 青桐クラブ創設時のメンバー。H25年度埼玉県クラブ選手権19年振りの優勝という結果を、青桐関係者の誰よりも喜ん
 でくれた。永い間、鈴木総監督の相棒として青桐存続のサポートをしてくれた。現在でも川口市バスケットボール連盟の
 役員として、青桐クラブへ多大なバックアップをしてくれている。
 
 ■ 坂本 幸寿
 青桐クラブ二代目キャプテン。現役当時は、熊谷にある自宅から毎週木曜日21時からの練習に通っていた。大阪商業
 大学時代には岡山 恭崇氏と同期であった。
 
 ■ 戸田 光路
 青桐クラブ史上ナンバーワンのバスケIQをもったプレーヤー。浦和高校合格の偏差値を持ちながら、バスケットをやるた
 め川口工業高校へ入学。現役時代はスラッシャーとして活躍した。その後は日本大学へ進学する。
 
 ■ 岩瀬 文弘
 川口工業高校時代、関東高校選抜大会で優勝する。その後全日本高校選抜大会(現ウィンターカップ)の1回戦で42得
 点をあげる活躍をみせ、日本高校選抜の一員としてハワイへ遠征している。高校卒業後は中央大学へ進学、中央大学
 のヘッドコーチへ就任する。
 
 ■ 上田 寛
 青桐クラブ三代目キャプテン。どんな相手にも負けない強い精神力を持ち、シューターとしてチームを引っ張った。高校
 卒業後は法政大学へ進学。現在はトータス(株)の代表取締役を務める。
 
 ■ 池田 和浩
 青桐クラブ四代目キャプテン。川口工業高校時代には2年間埼玉県内無敗の記録を作った。やわらかい体から繰り出
 される柔軟性のあるプレーが特徴。高校卒業後は東洋大学へ進学、キャプテンを務める。現在もシニアチーム「ショッ
 ト」で活躍中。
 
 ■ 山中 修
 青桐クラブのムードメーカー。どのポジションでも厳しいディフェンスを仕掛け、いざというとき最も頼りになるプレーヤ
 ー。とりわけ夜の部では大車輪の活躍をみせる。
 
 ■ 秋葉 佳孝
 言わずと知れた埼玉県クラブバスケットボール界のボス。1対1が好きなプレーヤーで、平成4年の山形国体では埼玉
 のエースガードとして、チームを埼玉県青年男子チーム歴代最高の成績に導いた(全国ベスト4)。高校卒業後は国士
 館大へ進学。現在もシニアチーム「ショット」で全国制覇を目指し、現役時代と変わらぬ情熱で走り続けている。
 
 ■ 瀬上 寛
 青桐クラブの良き理解者で、現役選手に様々なバックアップをしてくれている。現役時代には、その年の埼玉最高のプレ
 ーヤーとしてその名を県内に轟かせていた。高校卒業後は東洋大に進学。現在は埼玉県協会オフィシャルサプライヤー
 「ディーズベスト」の代表を務める。
 
 ■ 清水 裕一
 青桐クラブが2度目の全国大会出場を決めた千葉での関東クラブ選手権大会。山梨の名門「吉田クラブ」との死闘での大
 活躍は、今も伝説となっている。平成25年度クラブ選手権優勝のお祝いは、誰よりも早く電話してくれました。
 
 ■ 宮澤 廣
 清水同様に、吉田クラブとの死闘にすべてを出しつくし、翌日から体調を崩し入院してしまう。1線を退いた後は審判を
 始める。クラブ連盟の中で最も上級ライセンスに近いといわれながらも転勤のため断念。平成24年に20年ぶりに埼玉
 へ戻り、「ショット」の練習に参加している。
 
 ■ 三枝 尚充
 大学時代プールのアルバイト中に中学校の先輩に声をかけられ青桐クラブに入団する。青桐クラブへ入団したことでその
 能力を開花させる。青桐史上最も成長したプレーヤーといっても過言ではない。
 
 ■ 和田 一
 埼玉県高校バスケットボール界のレジェンド。新人戦、総体と県南の予選落ちで県大会出場すらできなかったチームを
 まとめ上げ、インターハイ予選を勝ち抜き見事優勝。鹿児島インターハイ出場チームのキャプテン。
 
 ■ 鈴木 孝
 和田と同世代で川口工業高校「奇跡の世代」のメンバー。現在は中学校の教員として、バスケットボールの指導選手育成
 に尽力している。
 
 ■ 西野 弘一
 いつも真面目で誠実。性格を映し出すかのような堅実なプレーが持ち味。同氏が幹事を務めた際の岳温泉旅行は、
 今でも色褪せることなくメンバーの思い出となっている。
 
 ■ 中山 茂
 青桐クラブOBもたくさんお世話になっているシニアチーム「ショット」の代表。今年地元埼玉で開催される全日本マス
 ターズ選手権大会の優勝を狙い猛練習中。
 
 ■ 斎藤 俊達
 川口工業高校OBチームの「ショット」に登録し、シニアチームにて活躍中。平成25年クラブ選手権優勝の際は、メン
 バーたちと一緒に喜びを分かち合ってくれた。
 
 ■ 川北 準人
 青桐時代にはアップ中にダンクシュートをぶちかます、ど派手なオフェンス大好きプレーヤーで、「下町のジョーダン」
 として恐れられた。今では東京成徳大学の監督として、関東大学リーグ二部復帰を目指し、プレーヤーにしっかりとディ
 フェンスを教えているようだ。これまで数多くの名プレーヤーたちを埼玉県クラブバスケ界に送り出してきた。
 
 
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